私がなぜ写真家として独立を決断したのか。
について 3部構成で お話しましょう。
いきなり、全然関係のない写真のように見えて一応関係あるんです。
サクっと私の略歴をなぞると、普通に普通の高校を普通に卒業し、あと数年遊びたいからと、親のスネをかじり散らかして遊びまくり。
19歳でバイトしすぎて扶養家族から外され、税金の恐ろしさを経験し、遊ぶつもりで専門学校に通うも この稼ぎがキッカケで親のスネが鋼鉄に変化し、学費・生活費も自分で稼ぎ、しかしさらに遊び、すごく稼いでいたのにすごく借金があると言う、クズまっしぐらで成人式を迎えた男。
しかし ある意味 誇ることではないが器用貧乏といいますか、ある程度のことはお勉強も運動も器用になんでもできたので、要領効率よく即借金をしっかりと返済し、無借金になったが遊びまくり。笑
まぁそんなこんなで20代中盤までは な〜んか色んな仕事しながら バンド活動を楽しんでいたわけです。
そのうち やりたいこと出てくるっしょ、ぐらいの感覚、特にやりたいことも見つかってないのに 定職につきたくない、なんてマインドの
俗に言う クズです。笑
でも一つだけ言い訳したいのが、何かやりたいことが見つかるかも、との思いで国家資格を死ぬほど勉強しまくり、なぜか国家資格をすごーく持っています。 と、そんなこんなの器用夢無し貧乏の私。
ある時、趣味では続けていたカメラを知っていたバンド界隈の友人が 自身の飲食店をオープンさせるとのことで店の写真や商品の写真を撮って欲しいとオーダーしてきました。
そうなると そこは責任感の塊なもので 徹底的に撮影手法と必要機材を調べました。
そこで撮影した写真に対して 初めて対価をもらったわけです。
以降、知り合い伝いに同様のオーダーや、バンド時代の知り合い伝いのライブの撮影などを請けるようになるなけです。
これまた、勉強しまくっていた知識を活かして ホームページを作ってあげたり、チラシを作成したり、PRマネジメントでしっかりお金になった対価としてパーセンテージで報酬を得たり。お互いがWIN WINになれるコンテンツを作る仕事を始めました。
が、
そんなに簡単に生活できるほどの収入を得られるわけでもなく、いったん給料だけで選んだ大手インフラ企業に就職します。
当時 4大新卒しか採用していなかった大手企業でしたが募集要項の仕事内容に自分ができるであろう仕事内容の記載が多々あり、給料も良かったので 無鉄砲にも本社に突撃し直談判して面接を勝ち取り、職務経歴の薄さからは理解できない量の保有資格の記載(履歴書の左反面は薄いのに右反面はビッシリという状況。笑)に当時の人事担当者が 面白い。とのことで採用してもらいました。
その会社に全力で取り組み10年だけ世話になろう!
と頭から決めて就職しました。
結果的に、とても大きな経験と、厳しい経験と、リアルなビジネスの環境下に身を投じた経験は、かけがえのない自分の財産になったと感じます。ですが 当初から決めていたことなので。。。
結果10年目に 辞めます! と突如 宣言!笑
今でも豆鉄砲くらったみたいな当時の上司の顔が忘れられません。笑い話です。
独立したいので、と伝えて事もしっかり伝えての退職願いでしたが、認めてもらえず。笑 独立開業を認めてもらっての業務委託契約に変更され、結果 宣言したところから2年弱、辞めさせてもらえないという謎の時間もありましたが、必要とされていることには悪い気はしなかったのである意味頑張りました。そして独立に至るわけです。
次回
ではなぜ、そのタイミングで写真家として食っていきたい!と決断するに至ったのか、を綴りたいと思います。
それではまた次回。